八幡靴
八幡靴


ものしりその1 時代とともに・・・

ご存じのように、日本人が「靴」を履くようになるのは、明治時代になってから。高級手縫靴の産地として知られる近江八幡も、靴つくりが伝わる以前は雪駄つくりが主な産業となっていました。明治から大正時代にかけて主に作られたのは、和靴と呼ばれるもので、農家の人が田んぼに行くときに履きました。明治の終わり頃になるとゴム靴が大阪から入ってくるようになり、修繕だけを手がけました。洋靴を作り出したのは大正初期からで、ロシアの婦人兵が履くための靴を製造していました。これは、ロシア革命が起こって貿易が途絶えたことから、作られなくなります。しかし昭和に入ると紳士靴が普及しはじめ、製造が盛んになってきます。親方や職人の数も年々増えていきました。戦争が激しくなるについれて軍靴の製造が中心となり、八幡靴の基盤をつくりました。


ものしりその2 手縫靴のできるまで

靴の形をかたどった木型と、靴の中底を木の釘で固定します。つぎに、足の甲の部分にあたる「甲皮」を木型にあわせて張り、底から釘で仮留めします。そして、底に穴をあけ、曲げた木綿針などを使って甲皮と中底を糸で縫います。こうして甲皮が固定されると、中底の外側に本底を貼り、木型を抜きます。つぎに、本底を固定するため、突き針で穴をあけて毛針で本底と甲皮、中底をしっかりと縫いつけます。さいごに、木型と中底を固定するときに使った木の釘の出っ張りを削り取ります。 親方の下に「甲皮師」「底付師」という職人がおり、それぞれの作業を分業で行っていました。終戦から昭和25年頃が全盛期で、「八幡の皮靴」といえば履きやすくガッチリと仕上げた手縫いの高級品として知られていました。昭和57年には、藤田時蔵さんが、滋賀県知事より伝統工芸の表彰を受けられています。
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