近江牛写真
近江牛写真


ものしりその1 肉食禁止・・

仏教の伝来とともに、日本では肉を食べることも禁止されました。しかし戦国時代にはそれが復活。豊臣秀吉や徳川家康も、たびたび肉をごちそうになったという史実も残っています。これは、キリスト教の伝来とともに、ポルトガル人宣教師らによって広まったため。しかしその後徳川家康がキリスト教を禁止すると、同時に肉食も禁止されることになりました。しかし、日本全国で彦根藩だけは「薬用」といして牛肉生産を公認しており、18世紀末から牛肉の味噌漬けや干し肉をたびたび将軍家に献上していたのです。 明治維新を迎えると、この彦根藩の牛肉は湖東地方で広く生産されるようになり、近江商人の活躍によって「近江牛」のすき焼きが一大ブームを巻き起こすまでになりました。

 
ものしりその2 「桜田門外の変」・・・

彦根藩最後の藩主、井伊直弼といえば、「桜田門外の変」で知られています。江戸に黒船が来航したとき、強引に開国を推し進めた結果恨みをかい、水戸藩士に暗殺されたのですが、実はその裏には別の事情があったといいます。それは何を隠そう「食い物の恨み」。 薬用として牛肉の味噌漬けを将軍家と徳川御三家に毎年献上していた彦根藩ですが、直弼の代になってそれを止めてしまいました。直弼は仏教の教えを守ろうとしたのです。毎年献上される牛肉の味噌漬けを楽しみにしていた水戸藩主の斉昭は我慢ができなくなり、直弼に催促しました。しかしすげなく断られてしまったため、これを根にもったというわけ。まさに、食い物の恨みは深いという見本のようなお話でした。

 
ものしりその3 自然と技が・・

独特の美しい光沢と細かく柔らかな繊維、そして霜降りの見事さが近江牛の特長。この霜降りは本来消えやすいものですが、近江牛に限っては消えにくいといわれています。柔らかくて脂肪に粘りがあり、口に入れるととろけるような風味が出るのは、このためです。 近江牛がおいしいのは、この地方で食用として特別に肥育する方法が考えられ、受け継がれてきたから。まず、但馬地方の血統のよい子牛を買い付け、この地で2年間子どもを産ませずに大事に育てます。鈴鹿山系に源流をもつ日野川、愛知川の流れ、大麦を中心とする飼料配合、そして家族同様に愛情をかけて育てる風土が、この牛をおいしい近江牛に仕上げるのです。伝統の技と風土が育てる近江牛は、まさに「肉の芸術品」なのです。


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